日記2

自然演繹を積極的に用いたい.

論理学に関して真偽を論ずるとは

命題の真偽を論ずるというとき,たとえば「今日は雨天である」という命題の真偽は外へ出て雨が降っていれば真であり,雨が降っていなければ偽であることを証することができる.また,「2099年の1月1日は雨天である」という命題は,現時点では真偽を論ずることはできないが,その時点になれば経験的に実証する手段がある命題である.しかし,「2099年の1月1日は晴天でありかつ雨天である」という命題は実証する必要もなく,ただちに偽である.それは,命題の論理的構造上,偽であるからである.

 論理学に関して真偽を論ずるというのは,前者の意味(経験的に実証すること)に対して,そうではなく,命題の内容にかかわらず,形式的な構造上いかなる構造のとき真であるか,あるいは偽であるかを探究するものである.その意味に置いて形式論理学とよぶ.そこで,命題の経験的内容に引き込まれないようにするために,できるだけ経験的内容の無内容な記号を以って命題を置き換えて行き,論理的構造の形式をあらわにしようとする.しかし,伝統的あるいは古典的形式論理学に置いては,ごくわずかの記号が導入されてはいるが,まだ記号化が徹底していない.

 また,伝統的論理学が命題の真偽を二個の概念の外延の包摂関係を基礎として捉える限り,内容的考察から脱することはできない.なぜなら,外延の包摂関係というのは,二個の概念についての実質的な知識を予想しなくては考えられないからである.